豊田市交通モデル都市 ⑦ 自動運転社会 |
[ Editor’s Column Smart City/豊田市動向 ] 2018年4月15日 |
自動運転技術の開発や制度のあり方が議論されている。自動車関連企業は来るべきトレンドの変化への対応に必死で、IT業界はモビリティ分野への進出を考え実験を重ねてている。
自動運転の社会実装は、幾多の社会実験を経て、2025年ぐらいから、高速道路における物流、中山間地では高齢者向けモビリティサービスが行われていくことになるだろう。
それに向けて現在各国では、技術開発、搭載基準、社会実装に直接関係する免許や保険などの法制度の検討設計、が行われている。現時点では、当然といえば当然と言える。
しかし、交通・都市計画や国土形成との関係、さらに社会や人との関係についても議論が行われる必要がある。
以上の文脈と問題意識の中で、最近、建築家 黒川紀章氏の「ホモ・モーベンスー都市と人間の未来」(1969年 中央新書)を読み返している。日本での自動車時代勃興期の1969年1月に出版された。
同氏はその中で、人間の本質を「ホモ・サピエンス(考える)」「ホモ・ファーベル(作る)」に加え「動く=モビリティ」が最も意味を持つ視軸、価値であると考えている。そして、そのような価値を担った人々を「ホモ・モーベンス(動民)」と唱えている。
▼筆者の勝手な解釈に基づく同書の要点は以下のとおりである。
現代社会において最も意味を持つ「価値」は、モビリティ(移動可能性)である。
近代建築の思想と方法は、「ものをつくることに熱中していた時代」の機械のアナロジーから出発した機能主義ではないか?ブラジルの首都ブラジリアの都市計画はそのモデルといえる。
これに対し、もろもろの事象が成長し、変貌し、増殖する現代社会においては、都市そのものは変貌するもの、新陳代謝するもの、すなわち生体のアナロジーから出発する。
機械のアナロジーから出発した機能主義で言えば、道と建築は全く別の機能を持つものとして分離されなければならない。道は道路という物理的存在だけをさしているのではない。「物やエネルギーの移動であり、目に見えない情報」をさす。
都市における建築の設計は、情報の流れに"かたち"を与えるものである。
情報社会における特有なモビリティという本質を追求しようとすれば、道の概念は、もっと肉体化され、進化されなければならない。自動車はそのような「動的空間」体現しつつある存在である。
今までのところ自動車は不完全で技術の未熟児ではあるが、情報社会におけるモビリティの意味=ホモ・モーベンスの存在意義をこれほどシンボリックに裏付けてくれるものはない。自動車は「情報のカプセル」になる。
以上のように同氏の「モビリティ論」は反自動車交通論や自動車の外部不経済論が脚光を浴びていた約50年前に表されたものとは思えない示唆に富む内容である。
(しかし、黒川氏が「「ホモ・モーベンスー都市と人間の未来」を出版した時期に設計した愛知県瀬戸市の菱野団地も今や住民減少、高齢化の中で見直しが行われている)
自動運転車は、人々の生活様式、価値観を変え、都市の形も変えるだろう。ホッド・リプソン コロンビア大教授(「ドライバーレス革命」の著者)は「都市の巨大な駐車場は減少し、住宅や公園に再利用される。生活の場は広がり、渋滞が軽減されて都市に引っ越す人が増えると同時に、通勤が楽になることで都市周辺の田舎に住む人が増える。都心を環状に取り巻くベッドタウンは魅力を失う」と述べている。昨年、BoschとBenzは自動運転時代の都市のイメージ図を提示した。
自動車はIT技術により、その不完全性を克服する可能性がある。自動運転がもたらすモビリティ―の変化について、今後の交通・都市計画分野はもちろん、文明論、人間論の分野でもっと検討されてもいいと思う。
自動車産業のまち豊田が、自動車の持つ「不完全性の最小化」と「モビリティ最大」の未来都市交通計画を検討する条件が整いつつある。